『論語』における「仁」を手掛かりにして、「私たちがどう生きるべきか?」という壮大な問いについて、筆者と一緒に考えてみましょう。
『論語』から読み解く生き方――論理だけではダメ?
2024.01.24
この記事は…
(執筆:柳本 浩希/石油化学コンサルタント)
いつも石油化学市況やサステナビリティなどのテーマを中心に解説していますが、今回は少し肩の力を抜いて、「私たちがどう生きるべきか?」という壮大な問いについて、孔子(および彼の弟子)の「仁」という思想を手掛かりに考えていきたいと思います。
『論語』は孔子の教えを記した書物で、紀元前の中国の春秋戦国時代、いまから2000年以上前に成立したとても古いものになります。しかし、この『論語』は中国や朝鮮、日本の儒教的な精神文化の礎となり、日本においても儒教の入門書として高く珍重されました。
『論語』は多様な角度から人間の生き方や倫理に迫っていますが、その中でも「仁」に焦点をあてて考えていきたいと思います。「仁」といえば、TBSが制作し2009年から2011年に放映されたテレビドラマ『JIN-仁-』を思い出す方もいらっしゃるのではないでしょうか? もちろんこの「仁」と無縁ではありません。

『論語』における「仁」
では『論語』では「仁」がどのように語られているのか、引用を複数分析したうえで考察していきましょう。読み下し文などの引用は一旦全て加地伸行の『論語』訳注に従い、( )内は全てこちらで追記したものとします。
(1) 孝弟は其れ仁の本為るか。 学而 二
(2) 子曰く、…謹みて信、汎く衆を愛して仁に親(ちか)づけ。行ないて余力あらば、則ち以て文を学べ。 学而 六
(3) 樊遅(はんち) 仁を問う。子曰く、人を愛す、と。 顔淵 二二
(4) 子張 仁を孔子に問う。孔子曰く、能く五者を天下に行うを、仁と為す、と。之を請い問う。曰く、恭・寛・信・敏・恵なり。 陽貨 五
「仁」とは、⑴にあるとおり「孝弟」がその根本にあるといいます。「孝弟」とは「父母を敬い、人に尽くすこと」と考えられ私たちも家族からこのように教わり大人になっていると思います。この「尽くすこと」という点は、⑵の広く人(「衆」は不特定の人々を指します)を愛することへと敷衍(ふえん)されますが、条件として「謹みて信」が言われています。「信」の解釈は(己を)慎んだうえで誠実、ないしは言行一致であれ、といわれています。人に尽くし、思いやるという点は、⑶の問答で明快に「人を愛す」ことと言うことで、より際立ちますね。⑷ではさらに具体的に、五者をすべての人間(「天下」)に行うことが「仁」であると説明しています。相手を尊重し(「恭」)、心を広く持ち(「寛」)、誠実(もしくは言行一致)であり(「信」)、機敏に行動し(「敏」)、惜しみなく相手に恵み与えること(「恵」)が「仁」であり、加えて、(2)の後段にもあるとおり、いくら知識や学問に精通していても、「仁」を失ってはならないことが示されます。
「仁」は学問や論理よりも先行して大切だということですね。「仁」は研究者の白川静によると、人の上に布団を2枚乗せている画図から着想された概念で、人間が持つべき他者への思いやりや愛、私欲を排して人のために何かができるような人間としての温かみを含んだ言葉です。日本語では「仁徳」や「人間愛」と訳されていますが、このように聞くと少ししっくりくるかと思います。
確かに、いくら知性があっても、その人に社会性や思いやり、共感的な態度が備わっていなければ、善い人間とは言い難い、ということは首肯できるのではないかと思います。独我的な知性は、人間が神のような完全な知性を得られない以上、暴走する危険を伴います(傲慢が暴走へと変化した場合の犠牲は大きいことを多くの人は体感しています)。このように、孔子が定義する「仁」は現代においても精通した概念といえます。しかし、このような共感指向の倫理思想はごくありふれたものであり、わざわざ孔子を引っ張り出す必要があるのかというさめた見方もできます。
しかし、『論語』に展開される「仁」が優れていると私が考える点は、その生成過程にあります。もう少し引用したく、お付き合いしていただけると幸いです。
(1) 子曰く、聖と仁の若きとあらば、則ち吾(われ)豈(あに)敢えてせんや。述而 三三
(2) 子曰く、回や其の心三月違わず。其の余(ほかの人々)は、則ち日月に至るのみ。 雍也 七
(3)曾子曰く、君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔(たす)く。 顔淵 二四
孔子は「仁」を弟子に説いたが、⑴にあるように、自身は「仁」ではないと言います。たしかに、自らが自身を「仁」があると言うのは、それこそ「信」ではないわけだから、「仁」の要件を逸することになります。つまり、「仁」は他人から承認されるステータスであり、到達したとしてもそれを決して自覚することはないのです。⑵では、「仁」の状況はひとたび到達した後も変わるものであることが示され(「日月に至る」は日替わりで変化するような意味です)、さらに⑶において「友」つまり人間関係が「仁」の助けになるとされています。
これらから見えてくるのは、「仁」というものがほかの知性や徳のように個人の自律的なところから生成され、個の中で変化するものではなく、社会的関係を経て他者ないしはそのつながり(関係性)によって育まれ、生成するという点です。思いやりや共感性、寛容などが複合的にこの一語にまとめられるが、それは決して自分一人の世界では成り立たないものです。他者とのたゆまぬ関係において変化しながら常に探究する必要があり、それを成立させるのはあくまで他者であり社会的な関係なのです。「あの人は思いやりがある」などという時、その人個人の特性として私たちは考えがちですが、よく考えると、様々な関係性の中で生まれるものであり、個の中に宿る物というよりは、あくまで他者とのつながりや社会の中で回帰的に生まれるものと捉えるべきではないでしょうか。
人間の道徳や知性が社会的つながりや他者との相互承認(=「仁」)を失っては、その価値を滅してしまうという反省は、過去そして現在進行中の人道危機を見るに明らかで、絶えず私たち自身に問いかけてくる概念です。そして「仁」は、人はそれを死ぬまで探究すべきであり、時には師にも譲らず 、また時として命を捧げる価値があると『論語』に記されるところに、この概念が現代を生きる我々に訴えるだけの十分な強度を帯びています。
皆さんの周りに「仁」のある人、「仁者」はいますか? もしいなかったら、前述のドラマ『JIN-仁-』の大沢たかおさん演じる主人公を見てみてください。
■参考文献
●『論語』訳注:金谷治・著 岩波書店(1999年)
●『論語 増補版』訳注:加地伸行・著 講談社(2009年)
●『孔子』加地伸行・著 KADOKAWA(2016年)
1985年生まれ。大学卒業後、総合化学メーカーに就職し、石化コンビナートの現場、ナフサの調達、合成樹脂の営業を経験。その後、ナフサ取引の仲介や情報誌の編集責任を務め、2026年5月に炭化水素リサーチ株式会社を創業(https://hc-r.co.jp/)。ナフサと石油化学業界必携のNaphtha Portalを立ち上げる。
