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宮沢賢治と化学――本当の幸いを求めて

2024.07.24

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この記事では…

今回は少しロマン的なお話を取り上げますが、石化業界とも関係する内容です。

(執筆:柳本浩希/石油化学コンサルタント)

いつも石化業界にいると、価格やスペックの問題、需要と供給の問題など現実的なところばかりに目を向けがちではありますが、今回は少しロマン的なお話です。

「アメニモマケズ」で有名な宮沢賢治のことを皆さん耳にしたことがあると思いますが、実は彼は化学に深い関心を示していました。現在の岩手大学農学部を首席で入学し、化学の知見を得た賢治が残した多くの文学作品には、化学の知識が天の川のように燦然と散りばめられています。小野が宮沢賢治の作品(詩文 900以上、物語 約147作品ほか)を調査したところでは、650語もの化学用語が含まれており、彼がいかに化学への深い造詣を持っていたのかをうかがい知ることができます(1)。

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非現実性やロマンを希求する詩や童話というカテゴリーにとどまらず、現実的な学問である化学をその文学世界に編み込んだ宮沢賢治について、代表作で今も多くの人々に読み継がれている『銀河鉄道の夜』から、紐解いていきたいと思います。どのような目的で賢治は化学のことばを詩や童話に組み入れたのでしょうか? そしてそこから私たちが何か学べることはあるのでしょうか。

化学と「ほんとうの幸せ」

『銀河鉄道の夜』は主人公のジョバンニが親友のカンパネルラと共に銀河を旅する物語で、美しい銀河の描写が印象的な作品です。銀河では様々な場所をめぐりながら、多様な人に出会い、1つの冒険譚を紡ぎます。その中で注目したい場面が2つあります。1つは、銀河への出発前にジョバンニが印刷所を訪れる場面、そして2つ目は銀河の旅の中で化石発掘現場の海岸(プリンシオン海岸)を訪れる場面です。

それではなぜこのような場面設定をしたのでしょうか? それは本作の校異(最新版とその前の版との内容の違い)を見ることで推察できます。

現在出版されている『銀河鉄道の夜』は実は第4稿であり、賢治にとって完成版ではありません。本作は未完であり病に伏してもなお賢治は改訂を続けました。大きく改訂が施される前の初版では、物語の様相が大きく異なっています。初版ではブルカニロ博士という人物が登場し、「本当の神と幸せ」について語り、私たちが正しいと思うことをやっていくことでいつか「信仰も化学と同じようになる」、という進歩主義的な価値観を語るのです。これはジョバンニが現実世界を生き抜く「切符」となります。銀河をめぐる旅は、博士が自分の考えを伝えるための実験だったという種明かしもあるのです。科学的探究が人々に光を与え真理へ導くから、「ほんとうの幸せ」を求めて共に進もうと啓発する博士の存在があるからこそ、知識の源泉たる本の印刷所と、生命の原初を探る化石発掘現場の海岸の場面に意味が生きてくるのです。

しかし、第4稿ではこのブルカニロ博士のくだりは博士の存在もろとも削除されてしまい、現在の新版では印刷所と化石発掘現場だけがやや宙ぶらりとしているような表現で残っています。「化学の進歩によって人間もより幸せになる」という、倫理的救済は新版である第4稿で削除され書き換えられてしまいますが、これについて明確な理由は分かっていません。しかし、どこかで真理への手がかりを失くすような絶望を味わったことが影響していると、研究者らは解釈しています。大正15年に理想郷を求め「羅須地人協会」を設立するも、社会主義者との疑念を持たれ1年足らずで解散となり、手がけた文学作品の出版は成功せず、別の仕事をしながら独居生活を始め、肺炎を患った賢治の人生と無関係ではないでしょう。

その結果、『銀河鉄道の夜』には進歩主義的な価値観や「ほんとうの幸せ」へのはっきりとした手がかりは消え失せ、多様な対立概念を超越するユニバーサルな世界と、はるか彼方にある天上での幸いを希求する「祈り」が物語の読後に立ち現れることとなりました。一見すると賢治がその根幹においていた化学を手放したかに見えます。しかし、旧版において博士に「その時正しいと思われていることをすれば良いのだ」と語らせるだけというのも、それはそれで安直であり暴力的にも感じられます。賢治が追求した「ほんとうの幸せ」について、結論を明示するか暗示するかは読者の好みが分かれそうですが、本作品が未完な理由もこの点にあるのかもしれません。

とはいえ、化学にとどまらず、地学、地質学、農学、物理学などあらゆる人間の科学的探究が、いつの日か人間を幸福にするという希望は賢治の中に残り続けました。そして今でもそれはあながち間違いではないでしょう。

化学やテクノロジーで、人は幸せになっているか

私たちも化学と経済学、環境学の知見を活かしながら、人間の生活をよりよくするために仕事をしています。賢治が生きていた時代の葛藤(自然と人間との共存、不平等の是正といったテーマ)は、現代において複雑化したり見えにくくなっていたりしながらも、本質的には同じです。私たちは人工知能や量子コンピューターなど、科学的道具がさらに増えて便利になっている中で、本当に幸せになっているのか。賢治は『銀河鉄道の夜』を通じて、今を生きる私たち一人ひとりに問いかけてきます。

『銀河鉄道の夜』の原作は少し古い文体で書かれているので、いろんな人が現代語にカバーして挿絵も新たに挿入したりされていますが、私は藤城清治さんが著者である「新装版 銀河鉄道の夜」(講談社)をおすすめします。原作の光と影の世界がよりいっそう美しく表現されており、大人も子どもも楽しめる絵本となっています。多くの図書館にも蔵書がありますから、ご関心の向きはぜひ手に取ってみてください。

執筆者注:
⁠(1) 「宮沢賢治の使用した化学用語について」大阪市立科学館研究報告 27、23~30(2017年)、小野昌弘
⁠*2024年2月28日閲覧

参考文献:
⁠『新校本 宮澤賢治全集 第十巻 校異篇』筑摩書房(1996年)
⁠『新校本 宮澤賢治全集 第十一巻 本文篇』筑摩書房1996年)
⁠斎藤文一『科学者としての宮沢賢治』平凡社(2010年)
⁠山下聖美『集中講義 宮沢賢治 ほんとうの幸いを生きる』NHK出版(2018年)

プロフィール

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⁠⁠【⁠⁠柳本 浩希(やなぎもと・ひろき)】⁠⁠1985年生まれ。大学卒業後、総合化学メーカーに就職し、石化コンビナートの現場、ナフサの調達、合成樹脂の営業を経験。その後、ナフサ取引の仲介や情報誌の編集責任を務め、2026年5月に炭化水素リサーチ株式会社を創業(https://hc-r.co.jp/)。ナフサと石油化学業界必携のNaphtha Portalを立ち上げる。







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