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ナフサの考古学 vol. 2 ナフサはなぜ「なふさ」っていうんだ?

2022.02.14

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この記事では…

石油化学の会話で、良く出てくる「ナフサ」。今回は、ナフサの今のこと、そして未来について考えてみましょう。

(執筆:柳本 浩希/ 石油化学コンサルタント)

前回ナフサの起源について紀元前18世紀のアッカド語まで遡れ、元々は燃える水、瀝青(れきせい)の液体部分を示していた(今言えば液体の石油一般)こと、そして19世紀に石油産業が誕生すると現在のガソリンにならない揮発しやすい液体の炭化水素油一般を示すようになったことを解説した。今回は現在そして未来のナフサについて、語りたい。

ナフサは第二次世界大戦後、有効活用が模索され、石油化学用途として活用されていく。水蒸気と共に分解して石油化学品を得る製造技術が開発され、1958年にアジア初のクラッカーが日本・岩国に建設されると、ナフサは1つの市場を形成し、理科の教科書にも登場するメジャーな石油製品の1つとなった。日本では原油に次ぐ輸入量を占め、アジアでは日本が先導してナフサ市場を形成した。

欧米では石化原料としてエタンやLPGが主に使用されたが、資源に乏しい日本は液体で運搬できる、輸入コストが安値となるナフサを主原料として選択した。その後、日本だけでなく韓国や東南アジアでナフサクラッカーが多く建てられ、東アジアが世界最大のナフサ需要地へと変貌した。さらに、ガソリン需要が電気自動車の普及によって減少する一方、石油化学向けナフサ需要は堅調に推移しており、ナフサの地位は向上しつつある。結果として、19世紀に不要な留分とされていたナフサは石油会社が大切に販売する主役へと変化しつつある。

人類は石油という天然資源を現在のように精製して有効利用する前、自噴する褐色の油の液体をナフサと呼び活用していた。その後、ナフサは英米人が中心だった石油の世紀において排除され、不要な軽質油を表す言葉へと押しやられ、その活用法もガソリンに混ぜることのできない分の数量は発電用途として単に燃やされるに過ぎなかった。石油産業にとって目的生産物はガソリンでありケロシン、ジェット燃料となったわけであり、ナフサは端に追いやられていたわけだ。

しかし、ここにきて燃料用途の衰退によってナフサの地位が復権した点は興味深い。言い換えれば、英米系の石油産業が捨てたものに価値が生まれ、非英米系の語族を言葉の語源を持ったナフサが再度注目されているわけである。それだけではない。一神教の倫理の下、人類が石油を大量消費し始めてまもなく200年となるが、それよりはるか前に石油を意味し多神教の時代に使用されていた言葉がここにきて復権されるというのは、他の意味でも示唆に富んだ現象と言えるのではないか。

ナフサは他の石油製品とは異なり、燃料ではなく、私たちの生活を支えるプラスチックやゴム、肥料、薬などへ化けている。ナフサを利用する化学(chemistry)という語も、ルネサンス期に取り入れたアラビア語からの借用語という説(Oxford English Dictionaryに拠る)があり、奇しくも非英米という意味でナフサと語源の親和性がある。多神教の時代に天然資源として活用していたところから、石油の世紀では未開で不要な物質へ変化し、その後期せずして注目を集めるナフサという言葉の社会的変化は、もう一つ私たちに語り掛けることがあるだろう。

昨今、地球温暖化対策として様々な施策(カーボンニュートラル、炭素税、リサイクルなど)が特に欧州を中心に発表され、米国もバイデン大統領が就任後は、この動きに追随し積極的に施策を講じている。しかしながら、その姿勢の根幹にあるのは(特に英米において)、人間が自然を管理するという一神教に支えられた考え方(ステュワードシップ、stewardship)である。

人間が新たな投資をしながらカーボンオフセットにしていくことは、例えば地中に二酸化炭素を埋めるCCS(Carbon Capture and Storage)などの施策へと向かわせ、人間が炭素を課金することで管理するという、人間と自然との主従関係(人間が主人で、自然がそれに従属する関係)から抜け出せずにいる。果たしてその姿勢だけでうまくいくのだろうか?既に多くのほころびが人間を超える自然の力を通じて表出している。

石油を表す言葉はそのほとんどが人間の主体的な活動を通じて作られてきた。しかし、ナフサだけは地中から自噴するものに対し元々あてがわれ、人間があくまで客体にある言葉と言える。この言葉が生活の中で使われていた古代世界では、特にイラン高原で湧き出るナフサは神の化身として崇められ、拝火教のシンボルたる火を産み出すものとして畏敬の念を持たれていた。未知のシンボルであり、人間を超える力への畏怖の象徴でもあった。

19世紀から始まった人間中心に石油を利用する時代は、ナフサを不要な軽質油へと追いやり、その後は思わぬ形で再び注目されているが、この言葉は語源の旅を通じて私たちと自然との関係について別の視点を提供してくれる。それは、人間が神の化身として石油という天然資源を管理し、人間だけのために開発し、主体的に維持管理し続けるのではなく、むしろそのような時代はたかが200年前から始まったという事実と共に、人間があくまで自然に対して客体的にその奇跡に敬意を示しながら使用していくという視点ではないだろうか。

ナフサはその地位の復権と共に希少価値の見直しと価格の相対的上昇が見込まれているが、それだけではなく人間と天然資源との関係、そして非西洋の文化圏の日本で生きる私たちの役割のようなものが、この言葉の語源と歴史からにじみ出てくることをお伝えして、ナフサの考古学コラムを終えたい。

参考文献

- 堀田隆一. はじめての英語史. 研究社. 2016
- ダニエル・ヤーギン. 石油の世紀. 日高義樹・持田直武訳. 1991
- Ida M. Tarbell. The History of the Standard Oil Company. McClure, Phillips and Co. 1904

⁠⁠柳本 浩希(やなぎもと・ひろき)

⁠1985年生まれ。大学卒業後、総合化学メーカーに就職し、石化コンビナートの現場、ナフサの調達、合成樹脂の営業を経験。その後、ナフサ取引の仲介や情報誌の編集責任を務め、2026年5月に炭化水素リサーチ株式会社を創業(https://hc-r.co.jp/)。ナフサと石油化学業界必携のNaphtha Portalを立ち上げる。